東急世田谷線・・・という路線をご存知でしょうか?
東京都世田谷区の三軒茶屋駅と同区内の下高井戸駅の間、
5.0qの区間を結ぶ東急電鉄(東京急行電鉄)の軌道線です。
「軌道」とは広義には鉄道車両が走る線路(レール)を指す言葉ですが、
「軌道線」と言った場合は、一般の車や人が往来する公衆道路に
レールが敷設される路線を指す狭義の言葉になり、
専用の線路敷のみで運行される鉄道路線とは区別されるものになります。
一般的には「路面電車」と呼ばれることが多いこのタイプですが
法律的にも「軌道法」という別個の法律が適用されるものなんですね。
東京都心から川崎市・横浜市を中心とした神奈川県東部地域にかけて
古くから一大路線網を有する大手私鉄・東急電鉄が運営する
唯一の軌道線がこの「世田谷線」なんですが、
世田谷区東部の地元住民の足としてはもちろん、
東京では都電荒川線(早稲田〜三ノ輪橋)とともに今なお残る路面電車として
多くの人に愛されているこの路線・・・
私・松風自身は日頃利用する路線ではないのですが、
先日ふとこの路線に久々に乗りたくなり、ぶらっと路線探訪をしてきました。
今回はその時のことを振り返ってみたいと思います。
(↑)まず降り立ったのは東急田園都市線の三軒茶屋駅。
ここで同じ東急の世田谷線に乗り換えます。
田園都市線の地下ホームから改札を出て長いスロープの地下道を延々進むと・・・
(↑)三軒茶屋のランドマークビル「キャロットタワー」に直結する
世田谷線の三軒茶屋駅に辿り着きました。世田谷線の三軒茶屋駅は
「煉瓦造りの高層ビルの中でヨーロッパ風の駅舎にレトロな路面電車が走る駅」
ということで、関東の駅百選に選ばれています。
(↑)田園都市線も世田谷線も同じ東急の路線・・・なんですが、両路線は運賃別立て。
世田谷線内の運賃は全区間均一制で、路線距離5.0q、全10駅どこまで乗っても
「おとな150円 こども80円(ICカード利用時はおとな144円 こども72円)」です。
一日全線全駅で乗り降りできる「世田谷線散策きっぷ」(おとな330円)という
一日乗車券もあり、この日の私ももちろんこちらを購入しました。
(↑)世田谷線沿線はレトロな街並みや寺社仏閣を始め名所旧跡がたくさんあり、
ちょっとした歴史散歩ができる路線としても知られ、
TVの散策番組などでもよく取り上げられていますので
地元住民や鉄道マニアならずとも割とよく知られています。
(↑)三軒茶屋駅のホームは頭端式2面1線のホーム。
1線の線路の両側に乗車ホーム・降車ホームがそれぞれ設置されていますが、
降車ホーム側には改札がなく、通り抜けの一般通路としても利用されています。
(↑)電車が入ってきました。
今の世田谷線の車両は全列車がこの300系。
2両編成(2車体3台車の連接車)で全10編成で運行されていますが
車体色は編成ごとに異なり、来る電車ごとに色が違うのでなかなか楽しいです。
(↑)車体色はこの10種類。
正確には現在は「世田谷線50周年記念企画」の一環として
301F編成はグリーンとクリームの玉電塗装(旧玉川線の塗色を再現したもの)、
308F編成は「幸福の招き猫電車」塗装(沿線の豪徳寺の招き猫に由来するデザイン)に
変更されています。
(↑)土曜日の昼下がりの世田谷線・・・大勢の人が降り、大勢の人が乗ります。
軌道線とはいえ、一日の乗降者数が11万人を超えるドル箱路線でもあるんですね。
(↑)ちなみに「三軒茶屋」の地名は、江戸時代、大山道と登戸道の分岐点だった
この地に三軒の茶屋があったことに由来すると言われています。
今も国道246号線と世田谷通りの分岐点で、田園都市線で渋谷から2駅のこのエリアは
「住みたい町」ランキングの上位に名を連ねる人気の街なんだとか。
(↑)ドアが閉まり三軒茶屋を出発・・・と思ったら、あっという間に最初の途中駅、
西太子堂に到着。三軒茶屋と西太子堂の駅間距離はわずか0.3km(300m)。
三軒茶屋の再開発で、三軒茶屋駅が西太子堂駅寄りに移転したこともあって
世田谷線内でも駅間距離が最も短い区間ですが、
いかにも軌道線らしい駅と駅の近さです。
(↑)車内の雰囲気も電車の車内と言うよりはバスの車内に近いものがあるでしょうか?
にしても、通勤利用の少ない土曜日でも結構混むんですね。
(↑)若林に到着。ここでちょっと途中下車してみます。
この駅の手前、三軒茶屋寄り30mほどの所に
この世田谷線を象徴するスポットがあるのでそこに行ってみることにしました。
(↑)そのスポットとは・・・ここ「若林踏切」です。
世田谷線と交通量の多い環状七号線(環七通り)との交差地点の踏切なんですが、
この踏切、なんと警報機も遮断機もない「第4種踏切」なんですね。
(↑)というのも、ここは信号機によって交通が制御されている特殊な踏切なんです。
道路交通側に一旦停止の義務はなく、電車も環七通りの交通に優先されないため
信号によっては電車の方が一時停止をする仕様になっていることで
「信号待ちをする電車」が見られる踏切として知られています。
(↑)環七側の信号が赤の時は車の往来が停まり、その間に電車が通過していくこともあれば・・・
(↑)環七側の信号が青の時に電車が踏切に差し掛かると、逆に電車が信号待ちをすることも・・・
ここでは毎日こんな光景が繰り返されているんです。
(↑)この踏切も、かつては踏切警報機とワイヤーを使った昇開式遮断機が設置された
電車優先の普通の踏切だったそうですが、環七通りの交通量の爆発的な増加に伴い
踏切近辺の渋滞悪化が顕著になったため、1966年(昭和41年)に
警報機と遮断機が撤去され、信号機が設置されて現在の姿になったんだとか。
一般の車や人が往来する道路にレールが敷設される「軌道線」に分類される世田谷線
・・・なんですが、実のところこの世田谷線はほぼ全線が「専用軌道」区間で
道路上を走行する区間(併用軌道)は無く、この若林踏切が唯一の公衆道路共用部分と
なっています。
(↑)さて、若林の駅に戻って再び世田谷線の電車に乗ります。
今度はグリーン塗装の電車に揺られ、一駅先の松陰神社前で降ります。
この駅はその名の通り、「松陰神社」の門前町の駅。
徒歩5分ほどの所に松陰神社があります。
(↑)駅前の踏切を渡ります。
余談ながら世田谷線のゲージ(軌間・レールとレールの間隔)は1372o。
スコットランドの馬車鉄道のゲージ(4フィート6インチ)を採用した
かつての「東京馬車鉄道」(後の「東京都電」へと発展)の流れを汲むこのゲージは
都電荒川線や京王電鉄(井の頭線を除く)、函館市電などで今も見ることができます。
(↑)松陰神社前の駅から松陰神社までの間は
昔ながらのお店が並ぶアットホームな商店街を通り抜けます。
ゆったりとした時間が流れどこか懐かしい感じもする・・・そんな街でしょうか。
(↑)今さらですが、「松陰神社」は
長州・萩の「松下村塾」にて高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文といった
明治維新の立役者たちを育てた幕末の思想家・吉田松陰を祀る神社。
商店街の一角には「松陰本舗 松下村塾學び館」という
吉田松陰や松下村塾の塾生・門下生などについて学ぶことのできる
入館無料の資料館まであります。
(↑)松陰神社までやって来ました。吉田松陰を祀る松陰神社は、
その故郷にして松下村塾のあった山口県萩市にもありますが
こちらの松陰神社は、かつての長州藩主の別邸の跡地で
ここに改葬された吉田松陰の墓の側に創建されたものなんだとか。
(↑)鳥居をくぐり拝殿に向かう松陰神社の参道を進みます。
それほど大きくはない神社ですが、境内には凛とした厳かな雰囲気が漂っていました。
(↑)幕末の激動の時代に、類まれなる先見の明と不屈の精神をもって
その先の明治という新時代を切り開く多くの逸材を育んだ吉田松陰。
安政の大獄にて刑死し、自らはその近代日本の姿を見ることはできなかったものの
維新を成し遂げた門下生たちによってその思想は受け継がれ
その師の御霊は神としてここに祀られた・・・というわけなんですね。
(↑)そんな松陰先生の志にあやかるべく、私も清らかな心で参拝させていただきました。
晩夏の土曜の昼下がりの境内は静寂に包まれセミの声だけが響き渡っていましたが、
拝殿で手を合わせる人は絶え間なくやってきていました。
(↑)拝殿の隣には、なんと「松下村塾」の看板が。
萩市の松陰神社の境内には幕末当時の松下村塾の塾舎の建物が現存していますが、
実はここにも松下村塾を模した建物があったんですね。
(↑)模築とはいえ、往時の雰囲気は十分に伝わってきます。
建物は木造瓦葺き平屋建ての小舎で八畳と十畳半の部分からなっていますが
十畳半の部分は塾生が増えて手狭になったため、後から増築したものなんだとか。
1857年(安政4年)から1858年(安政5年)までの2年程の間、
吉田松陰はこの部屋で塾生たちに教育を施しました。
(↑)こちらが最初からあった八畳の部屋。
(↑)こちらが増設された十畳半の部屋。見た目は質素な日本家屋の部屋ですが、
この部屋から後の近代日本を築き上げた錚々たる人物たちが輩出されたのかと思うと
何とも感慨深いものがあります。
(↑)「万巻(まんがん)の書を読むに非(あら)ざるよりは
寧(いずく)んぞ千秋(せんしゅう)の人と為るを得ん。
一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、
寧んぞ兆民(ちょうみん)の安きを致すを得ん。」
( 多くの書物を読もうともしない者が、どうして立派な人物になり得るだろうか。
自分の労苦を軽んじ厭う者に、どうして世の人々の安寧をもたらすことなど出来ようか。)
私も松下村塾の教えを肝に銘じたところで、再び世田谷線に乗って先に進みますが・・・
長くなりましたので、このお話は次回に続きます。