2019年10月18日

ぶらり東急世田谷線の旅(2)

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また1ヶ月ほどごぶさたしてしまいました(汗)。

先日の大型台風の直撃で、各地に甚大な被害が出ているところですが
みなさんのご自宅やお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか?
台風はうちの周辺にもいろいろツメ跡を残していったんですが
TV等で各地の被害状況を見るにつけ、この文明の進歩した今の世にあっても
大自然の猛威の前に人間がいかに無力かを改めて感じますね。

私も先日の連休は台風でひっちゃかめっちゃかになった家の周囲の掃除や片付けに明け暮れ、
ラグビーW杯の日本代表の快進撃もあまりゆっくり観られなかったんですけど、
やっといろいろ落着いたところで、久々のブログ更新・・・ということで
前回のお話「ぶらり東急世田谷線の旅」の続きです。

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人や車が往来する公道上に敷かれたレールを走る鉄道のことを「軌道線」と言います。
専用線路のみを走る普通の鉄道とは異なり、公道上の併用軌道を走り、
その道路上(安全地帯や歩道)に設けられた停留場で乗客の乗降を行い、
主に市街地内の短距離交通手段として利用されるこのタイプの鉄道は
一般には「路面電車」「チンチン電車」などと呼ばれ、今でも地方都市では多く見られますが、
かつては東京都内にもたくさん走っていました。

中でも東京都交通局が運営する軌道線は「都電」と呼ばれ
ピーク時(1955年頃)には、東京23区内に40系統・総営業キロ約213kmもの路線を擁し、
一日の利用者数が約175万人にも及ぶ日本最大の軌道線だったんですね。
しかしそんな都電も、高度経済成長期に入るとモータリゼーション(車社会への移行)や
地下鉄(営団地下鉄、都営地下鉄)の整備進展などに伴い次第に利用者が減少、
次々と路線が廃止となり、1974年(昭和49年)には荒川区の三ノ輪橋停留場と
新宿区の早稲田停留場を結ぶ12.2kmの1路線(都電27系統の一部と32系統を統合した路線)
を残すのみとなりました。これが現在も残る「都電荒川線」です。

また、東京の大手私鉄・東急電鉄もかつては複数の軌道線を有していました。
旧・玉川電気鉄道時代に敷設され、その後東急電鉄の路線となった
渋谷区の渋谷駅と世田谷区の二子玉川園駅(現・二子玉川駅)を結ぶ9.1kmの路線「玉川線」と、
その玉川線を拡張する形で開業した支線の「砧(きぬた)線」(二子玉川園 〜砧本村間 2.2km)、
「下高井戸線」(三軒茶屋〜下高井戸間 5.0q)などがそれで、
主に大正期から昭和中期まで、東京の都心から多摩川流域の郊外を結ぶ
生活輸送、行楽輸送の足としての役割を担っていたんです。
しかしこちらも都電同様、高度経済成長期の急速な社会変化からは逃れられませんでした。
玉川線が走る玉川通り(国道246号)の交通量の増加、首都高速3号渋谷線の建設などの影響で
玉川線は新たな地下路線「新玉川線」(現・東急田園都市線の一部)への移行(開業は1977年)、
砧線はバス転換が決定し、ともに1969年(昭和44年)5月11日をもって廃止となり、
この時点で東急の軌道線は下高井戸線(三軒茶屋〜下高井戸間 5.0q)1路線を
残すのみとなってしまったんですね。その下高井戸線が「東急世田谷線」と改称され、
東急電鉄で唯一の軌道線として現在に至っているというわけです。

路面電車が次々と淘汰されていく中でも生き残り
今なお東京を走り続けている都電荒川線と東急世田谷線・・・
この2線だけが廃止されずその後も存続できたことには実はある理由がありました。
それは、両線とも「利用者数が多かったから」ということもさることながら、
もう一つ共通して言える大きな特徴として
両線とも「軌道線でありながら、実際には併用軌道区間がほとんどなく
大部分の区間が専用軌道区間であった」というのがあったんですね。
つまりこの2線は「軌道線」に位置づけられながらも、
走行区間のほとんどが電車専用に設けられた線路(専用軌道)で、
人や車の通る公道上を走る路面部分(併用軌道)がほとんどなかったため、
道路交通に与える影響が少なく、廃止する理由がなかった・・・ということなんです。

実際、荒川線、世田谷線とも、今も道路上を走っている路面箇所はわずかしかなく
(世田谷線は前回触れた「若林踏切」の部分のみ)、
そういう意味では「今も「路面電車」の路線が堂々と残っている」と断言するには
やや無理がある(?)のかもしれませんが、
かつて東京の道の真ん中を走っていたタイプの電車が今なお走っているという事実には変わりなく、
古き良き昭和時代のノスタルジーをも今に伝える貴重な存在ともなっており、
私のような鉄道マニアのみならず、多くの人から愛される路線になっている、
というわけなんですね。



・・・ということで、前置きが長くなりましたが、
今年の夏の終わりのある日、
私・松風は一日乗車券を手に、その東京に今も残る軌道線・東急世田谷線に揺られて
行き当たりばったりのぶらり途中下車の旅をしてきた・・・ということで、前回は
三軒茶屋を出発し、若林の踏切、松陰神社などを散策した話をしていたかと思います。

松陰神社に参拝した後は、松陰神社前駅から再び世田谷線の電車に乗って先に進みます。

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(↑)世田谷線は、私のような行き当たりばったり散策の人がやっぱり多いんでしょうか?
  各駅ごとの沿線情報の案内板がどの駅にもあります。
  さて次はどの駅まで行こうか?
  考えているうちに次の電車が来てしまったので、とりあえず再び電車に揺られ
  下高井戸方面へと進みます。

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(↑)歴史あるフリーマーケット「世田谷ボロ市」が開かれるボロ市通りに近い世田谷駅、
  「世田谷代官屋敷」や「世田谷郷土資料館」などのスポットへの最寄り駅・上町駅、
  この2駅は降りようか迷いつつもスルーし・・・

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(↑)結局その次の駅、宮の坂駅で下車しました。
  ここは「世田谷八幡宮」や招き猫発祥の寺として知られる「豪徳寺」の最寄り駅です。

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(↑)この駅の下りホームのすぐ隣は世田谷区の「宮坂区民センター」・・・なんですが、
  その入り口にはホームに横付けされるように昔懐かしい緑の電車が展示されています。

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(↑)この車両はかつて世田谷線を走り、その後江ノ島電鉄(江ノ電)でも活躍した
  東急デハ80形(江ノ電600形)電車(東急デハ87→江ノ電601)。
  1925年(大正14年)製造の木造車両デハ20形電車を戦後鋼体化改造したもので、
  1969年(昭和44年)まで旧・玉川線、世田谷線を走り、その後1970年(昭和45年)に
  江ノ電に譲渡されて、1990年(平成2年)まで走り続けた車両です。
  引退後里帰りし、ここに静態保存されるようになったものですが
  その後老朽化が進んだため、昨年ふるさと納税の寄付金で全面修復されたことは
  ニュースでも話題になりました。

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(↑)9時から17時までは車内も一般公開されているので、早速見学してみることにします。
  全長14m弱、車幅2.3mほどの丸みを帯びた小ぶりな車体の内部は
  今の車両には無いなんとも不思議な雰囲気に包まれていました。
  古風なロングシートと板張りの床にノスタルジーを感じますね。

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(↑)かつての広告スペースには、このデハ87が走っていた頃の世田谷線や
  今は無き旧・玉川線(渋谷〜二子玉川園)、砧線(二子玉川園〜砧本村)の
  往年の写真が展示されていました。

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(↑)長年にわたり地元の人々の足として愛されながらも、
  高度経済成長期の都市化とモータリゼーションの流れの中で姿を消していった東京の軌道線。
  その奇跡的な生き残りである世田谷線は
  そんな時代の生き証人としての役目も担っているのかもしれません。

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(↑)古い車両の車内で古き良き時代の路面電車の写真を見ていると
  タイムスリップでもしたかのような不思議な感覚に浸ってしまいますが
  窓の外を見ると今の世田谷線の車両が多くの人を乗せて走り抜けていきます。
  引退してもなおかつての路面電車の雰囲気を伝え、多くの人に愛されている老雄車両デハ87。
  これからも大事に残してほしいと思います。


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(↑)さて、宮の坂で降りたので
  ここからほど近い「招き猫発祥の寺」として名高い豪徳寺にも足を延ばしてみました。
  宮の坂のもう一つ先の駅・山下駅が小田急線の豪徳寺駅に隣接する駅ですが
  実際はここ、世田谷線の宮の坂駅が豪徳寺の最寄り駅なんですね。
  駅前踏切を渡って5分ほど歩くとその豪徳寺が見えてきました。

豪徳寺(ごうとくじ)・・・
正式名称は「大谿山(だいけいざん)豪徳寺」。
もともとは中世のこの地の豪族で世田谷城主だった吉良政忠が
文明12年(1480年)に世田谷城内に創建した「弘徳院」という臨済宗の寺院でしたが
天正12年(1584年)に曹洞宗に改宗。
戦国時代、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅亡し
従属関係にあった吉良氏がこの地を追われて世田谷城が廃城となると
この寺もその庇護を失い一時期廃れますが、
江戸時代に入り、この一帯が彦根藩の世田谷領となって以降は
彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺として再興され、
「豪徳寺」と改号されて現在に至っています。

彦根藩主・井伊家の菩提寺ということで、
歴代の彦根藩主のうち江戸で没した藩主やその身内の墓があり、
その井伊家墓所が国指定史跡となっているほか、
梵鐘・仏殿・仏像など数多くの歴史的文化財を今に残す
東京の有名寺院
・・・なんですが、それ以上にこの寺を有名にしたものとして
この寺の縁起でもある「招き猫」の伝説があります。

それは江戸時代は寛永年間のお話・・・
彦根藩2代藩主の井伊直孝が江戸の郊外に鷹狩をしに出向いた帰り道のこと。
当時は小さな貧乏寺だったこの寺(豪徳寺の前身の弘徳院)の前を通りかかった時、
一匹の猫がその門前で手招きをするようなしぐさをしているのを目撃します。
直孝は何かの縁を感じてこの寺に入り、休憩がてら和尚と話をしていたところ
ほどなくして暗雲が立ち込め、激しい雷鳴が響きわたるとともに大雨が降り始めました。
雷雨の難を逃れた直孝は「この寺の猫が助けてくれた」と感謝し、
小さな貧乏寺だったこの弘徳院に多額の寄進をして立派な伽藍を整備するとともに
この寺を井伊家の江戸の菩提寺とすることにしました。
(弘徳院は直孝の死後、その戒名(久昌院殿豪徳天英大居士)から寺号を「豪徳寺」と改めました。)
・・・という伝説でして、
金運や良縁を招く縁起物としておなじみの置物である「招き猫」は
このエピソードに由来すると言われています。

その招き猫伝説から、豪徳寺では招き猫のことを「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、
招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招福殿」というお堂まであり、
そのすぐ側の一角「招福猫奉納所」には数多くの招福猫児が奉納されていて、
今では東京の人気パワースポットとしても知られているんですね。

というわけで、その豪徳寺に早速お参りです。

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(↑)山門に至る松並木の参道です。松の巨木の幹や枝ぶりに歴史の風格を感じさせます。

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(↑)そしてここが「山門」・・・なんですが、思いっきり工事中でした(汗)。
  今回は工事現場のコーンに誘導されるままに三重塔側の迂回路の脇道から境内に入ります。

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(↑)立派な「三重塔」です。これもさぞ歴史ある堂宇なのかと思いきや、
  創建は平成18年(2006年)とのことで、境内で最も新しい建物でした。
  この時はじっくり見なかったんですが、この三重塔・・・初層の軒下には  
  東西南北各面にそれぞれ3体ずつ十二支の彫り物が施されているそうで、
  ねずみの所には招き猫も登場するほか、二層の軒下にも猫の彫り物が施されているんだとか。
  そのへんはさすが豪徳寺というところでしょうか。

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(↑)こちらは「仏殿」。
  井伊直孝の娘・掃雲院が父の菩提を弔うため、延宝5年(1677年)に建立したものだそうです。
  今度こそ歴史ある建物にめぐり会えました(笑)。
  正面の扁額には青い文字で「三世佛」と書かれています。
  三世とは「過去」「現在」「未来」のこと。
  内部には大権修利菩薩像、弥勒菩薩像、釈迦如来像、阿弥陀如来像、達磨大師像が
  安置されていて、建物とともに世田谷区の有形文化財に指定されています。

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(↑)屋根には井伊家の家紋・井桁紋。
  側面の扁額には「選仏場」の額が掛っています。
  「選仏場」とは修行僧の坐禅道場のことですので、ここは禅堂も兼ねているんですね。

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(↑)仏殿の北側に法堂(本堂)があります。
  豪徳寺の伽藍は禅宗の伽藍配置としてはよくあるタイプで
  山門、仏殿、法堂(本堂)が一直線上に建てられています。
  この法堂(本堂)が本来お寺のメインスポットと言うべき建物・・・なんですが
  昭和42年(1967年)創建の鉄筋コンクリート造りの建物なので
  あまり歴史の趣を感じないためか?参拝客(観光客)の興味は薄いみたいで
  素通りする人が多いようでした。

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(↑)境内入って東側にある「鐘楼」です。
  梵鐘は延宝七年(1679年)に近江大掾藤原正次という
  当時の江戸でも一流の鋳物師によって制作されたもので
  工芸的にも非常に精巧で優れた完成度の高い作品なんだとか。
  仏殿や仏像と同様、こちらも世田谷区の有形文化財に指定されています。

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(↑)こちらは境内の奥にある庫裡(社務所)。本堂よりも歴史を感じさせる建物です。
  南側にある玄関(写真右)は、千葉の佐倉藩の藩主堀田家の大名屋敷玄関を
  移築したものだそうで、とても重厚な造りをしています。

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(↑)社務所内では招福の招き猫やお守り等を購入することができます。
  近くの自販機にも招き猫のイラストが・・・。
  そういえばこのお寺のメインスポット(?)、招き猫を祀る「招福殿」にまだ
  お参りしていませんでしたね。

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(↑)招福殿は三重の塔の北側、仏殿の西側にありました。
  ここに「招福観音」が祀られていて、お参りすると「家内安全」「商売繁盛」「心願成就」の
  ご利益があるとのことで、早速お参りです。

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(↑)堂の前にある絵馬掛けにかけられているのは、絵馬ならぬ「絵猫」。
  みなさんの願い事を見ると、よくある合格祈願や縁結び祈願などに加え
  ペットの健康や幸せを祈るものが多かったですね。
  英語や中国語などで書かれたものも多く外国人の参拝客も多いようです。

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(↑)そしてお堂のすぐ西隣には
  「招福猫奉納所」という区画があるんですが・・・
  そこは見渡す限りの招き猫、猫、猫・・・!? 大きさは大小さまざまですがものすごい数です(汗)。

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(↑)招き猫は達磨などと同じ縁起物で、初詣などに来る人が
  古いのを返納して新しいのを買って帰るようなパターンが多いため、
  その返納された招き猫が一時的にここに集まっているようなんですが、
  大小さまざまの招き猫がここまで群がっている風景はさすがにちょっとシュールですね(笑)。

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(↑)境内でもやはりここが一番の人気スポットらしく、
  ここだけは入れ代わり立ち代わりひっきりなしに人が訪れていました。
  やはり外国人の参拝客もちらほら見受けられましたね。
  「外国の人が日本のこういう風景見てどう思うんだろう?」とふと思ってしまいましたが
  私の側にいた欧米人らしき若い女性二人は
  “Oh! Many Cats!”となかなかご満悦の様子でした(笑)。

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(↑)招福殿より西側のエリアは墓域。
  その南側の広大な一角はこの寺を代々菩提寺としていた彦根藩主・井伊家の墓所で
  国指定史跡となっています。

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(↑)ここは豪徳寺中興の祖である2代藩主・井伊直孝をはじめ
  歴代の彦根藩主のうち江戸で没した藩主(6代・直恒、9代・直=A10代・直幸、13代・直弼、
  14代・直憲)とその正室、側室、子女、重臣など彦根藩関係者の墓が並んでいます。
  その墓石の数は300基以上あるんだとか。

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(↑)ここが2代藩主・直孝の墓。
  大名のイメージからは少し質素な印象も受けますが
  やはり武家の墓としての品格と言いますか、凛としたものを感じます。

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(↑)こちらは13代藩主・直弼(なおすけ)の墓。
  井伊直弼といえば、幕末の幕府大老にして「日米修好通商条約」に調印するなど
  日本史の教科書に登場する人物なのでご存知の方は多いかと思います。
  諸外国が押し寄せ、尊王攘夷などのイデオロギーが交錯する激動の幕末にあって
  さまざまな板挟みの中、執政者としてカリスマを振るった大老・井伊直弼。
  天皇の勅許を待たず外国と条約を結び、反発する攘夷派を安政の大獄にて弾圧し、
  自らも最期は桜田門外の変にて凶刃に倒れるという波乱の人生は
  今なお歴史のドラマとして語られています。

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思えば、つい先ほど参拝してきた松陰神社は
安政の大獄で処刑された幕末の思想家・吉田松陰の墓所とそれを祀る神社。
こちらはその安政の大獄で松陰を処刑した幕府大老の墓所。
今から見れば両者とも、国を想い近代日本の礎を築くべくその犠牲になった大人物ですが
この世田谷のわずかな距離の範囲内に両者が眠るスポットが存在していることには
なんとも不思議な因縁を感じずにはいられません。
世田谷線はそんな歴史上の数奇な縁をも結んでいる路線なんですね。


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(↑)さて、宮の坂駅まで戻ってきました。
  終点・下高井戸まではあとわずかですが、もう一駅だけ途中下車したいと思います。

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(↑)その「もう一駅」とは、宮の坂の一駅先の山下駅。
  ここは小田急線の豪徳寺駅との乗換可能駅です。

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(↑)三軒茶屋側からは小田急の高架下をくぐってすぐの所にある山下駅。
  ホーム南側前方を見上げるとすぐ目の前に小田急線の高架ホームが見えます。

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(↑)駅の南側に出て踏切を渡り、20mほど歩けば・・・

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(↑)そこは小田急線の豪徳寺駅の改札口。
  駅名こそ違えど両線の乗り換えの手間はほとんどなさそうです。

乗り換え可能なくらい隣接しているのなら両線とも同じ駅名に統一すればとも思いますが・・・

調べてみると
山下駅の開業は1925年(大正14年)5月1日。
豪徳寺駅の開業は1927年(昭和2年)4月1日。
世田谷線の山下駅の方が少しだけ早く開業しています。
両駅の開業当時の所在地(地名)は「東京府荏原郡世田ヶ谷町」(現在は世田谷区豪徳寺一丁目)でしたが、
豪徳寺に近く、やはりこのお寺が昔からこの地域のランドマーク的な存在だったため、
小田急線はこの駅を「豪徳寺」駅にしたんですね。

では、それよりも古い世田谷線の「山下」駅の方はというと・・・
「山下」の名は今の地図上の地名にもないようですが、
一体どういう由来でつけられた駅名なんでしょうか?

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実は「山下」というのは、
「山=大渓山豪徳寺」の下(たもと)という意味の駅名なんだとか。
(これが小字などの古い地名としてあったのかどうかはわかりませんが)
要は「豪徳寺」という名称は直接使っていないものの
こちらの駅名も「豪徳寺の近く」という意味だったんですね。

詳しく調べてみると、
開業したばかりの頃の世田谷線は今とは少し駅が違っていたようで
当時は今の宮の坂駅のある場所には駅は無く、
今の宮の坂駅から両方向少し離れたところにそれぞれ
「(旧)宮の坂」駅と「豪徳寺前」駅という2つの駅があったそうなんです。
当時の豪徳寺の最寄り駅は当然ながら豪徳寺前駅。
豪徳寺にもっと近いところに駅があって、
そちらで「豪徳寺」の名称をすでに駅名として使っていたため
その名を重複させないようにしていたんですね。
それゆえに、その後すぐそばに小田急線の「豪徳寺」駅が開業しても
その名前に統合するわけにはいかなかった、というわけです。

ちなみに(旧)宮の坂駅と豪徳寺前駅が統合されて
今の「宮の坂」駅が開業したのは1945年(昭和20年)7月15日とのこと
(「宮の坂」は「宮=世田谷八幡宮」近くの坂にちなんだ名前)。
その時点で豪徳寺前駅が廃止されたため、
「豪徳寺」の名は世田谷線上からは消えたわけですが
今度は新しい「宮の坂駅」の方が豪徳寺の最寄り駅となったためか、
やはり山下駅を「豪徳寺」駅に改称するようなことはありませんでした。
その時点ではすでに「山下」駅の名も地元に十分定着していたはずで
あえて駅名を統一しようという動き自体も無かったとは思いますが・・・。

駅名にまつわるエピソードも調べてみると結構面白いものがありますね。


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(↑)さて、山下駅に戻って再び世田谷線に乗りますが、
  全区間5qの世田谷線の旅もいよいよラスト・・・
  山下駅からは松原駅を経て5分ほどで終点・下高井戸駅に到着しました。
  三軒茶屋からここまで(途中下車しないで一気に来る場合)の所要時間は19分ほどです。
    
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(↑)世田谷線の下高井戸駅は三軒茶屋駅と同じ、頭端式ホーム2面1線の駅で
  降車専用ホームは駅の東西を結ぶ自由通路になっています。

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(↑)下高井戸駅は京王電鉄本線との乗換駅。
  世田谷線の降車ホーム側に京王線の下高井戸駅ホームが隣接しています。
  乗換駅で利用者も多そうな駅ですが、京王線の下高井戸駅は快速、各駅停車のみが停車し
  特急や準特急、急行は通過します。

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(↑)京王線のホーム側から見た世田谷線のホームです。
  山下駅と違い、こちらは両線が「同じ駅の中にある」のが一目瞭然です。
  ちなみに両線の下高井戸駅の開業は
  京王電鉄が1913年(大正2年)4月15日(ただし1938年から1944年までの駅名は「日大前駅」)。
  世田谷線が1925年(大正14年)5月1日。
  こちらは京王の方が12年も早いんですね。
  ちなみに前回も触れましたが、両線の線路の軌間はともに1372mm。
  戦時中は旧・玉川線の大橋工場と京王線の桜上水工場間を結ぶ部品配給列車を運行させるため、
  この駅で両線の線路は繋がっていたそうです。
  東京の鉄道もいろいろ歴史がありますね。

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というわけで、
私の世田谷線の旅はひとまずここでおしまいです。

東京で今も走り続ける軌道線、東急世田谷線・・・
普通の鉄道路線と比べればなんともスローペースのまったり電車なんですが
古くから地域に密着し、今も地元の人の生活の足として愛されているのを感じつつ
気ままな沿線散歩を楽しむ時間は、なんとも楽しく心地よいものがありました。

世田谷線の沿線には、この日回ったスポットの他にも
まだまだ見るべき場所がありますので、そのうちまた乗りに来たいと思います。
posted by 松風あおば at 00:00 | 日記