東急田園都市線の溝の口駅、JR南武線の武蔵溝ノ口駅周辺は
私・松風自身が仕事でよく来るエリアなんですが
その溝の口駅の南口から5分ほど歩いた大通り沿いに
小さいながらもちょっと目を引く公園があります。
(↑)公園の名前は
「久本薬医門公園(ひさもとやくいもんこうえん)」。
なにやら仰々しい名前の公園ですが・・・
大通りからパッと見ると
遊具などがあるわけではなく、いくつかベンチが置かれていて
サラリーマン風のスーツ姿の人が腰掛けて缶コーヒーを飲んでいたり
散歩途中と思われるお年寄りが一休みしていたりと、
一見何の変哲もない住宅地の普通の公園に見えるんですが、
その園内を見渡すと、
普通の公園にはまず無いものが目に飛び込んできます。
(↑)それは・・・昔の「蔵(くら)」。
とても立派な土蔵で、この公園のシンボルになっています。
実はこの公園、
江戸時代後期からこの地で8代にわたって医師を務めた
岡家という旧家の屋敷(自宅+診療所)跡なんですね。
かつて黒澤明監督の映画『赤ひげ』の撮影の際には、
ここの母屋などがそのモデルになったそうなんですが、
その敷地内にあった門(薬医門)と蔵、庭園の一部を残して
2007年(平成19年)3月に公園として整備したものなんだそうです。
(↑)園内はそれほど広くはありません。
実は旧・岡家の敷地の北東側エリアのほとんどは
この地区の再開発に伴い道路となってしまい
かつての玄関(門)と母屋、蔵のあった南西側エリアだけが
公園として整備されているんですね。
中央の広場になっているあたりにかつて母屋があったそうなんですが
1994年(平成6年)に解体されてしまったそうで
残念ながら現存していません。
(↑)この門が、この公園の名称にもなっている「薬医門(やくいもん)」です。
いつもは閉まっているようで、くぐることはできません。
こちらは内側ですので、外側の門構えも見に行ってみましょう。
(↑)いったん公園の外に出て、塀伝いに路地に入っていくと・・・
(↑)「薬医門」の正面に出ました。
現存するこの門は1910年(明治43年)に完成したものだそうですが
百年以上の歴史を刻んだその姿はなんとも重厚感があります。
(↑)「薬医門」の由来は諸説あり、
矢の攻撃を食い止める「矢食い(やぐい)」からきたとも、
医者宅(診療所)の門として使われていたからとも言われているようです。
ここの薬医門についてはやっぱり後者の方でしょうか。
(↑)内寸が高く造られているのは、馬で往診に出掛ける際に、
馬に乗ったまま門を通れるようにしたためなんだとか。
また門の脇に木戸を付けているのは、
扉を閉めても四六時中患者が出入りできるようにしていたからだそうで
やっぱりここは昔の診療所だったんですね。
(↑)さて、もう一度公園内に入ってみます。
大通り側の現在の入り口付近には手押しポンプの井戸があり、
今も水が出るようですが、残念ながら飲むことは出来ないとのこと。
(↑)公園内に入って南側(薬医門側)は
かつての日本庭園の一部が保存されています・・・が
今の季節は一面夏草が覆い茂ってしまっていて
あまり日本庭園という感じではありません。
(↑)もともと昔の医者宅(診療所)の庭ですので
昔は薬草なども植えられていたのかもしれませんね。
今も赤松や枝垂桜、梅、水仙、バラ、柿、サルスベリなど
さまざまな種類の樹木や草花が植えられていて
季節ごとにいろいろな佇まいを楽しむことができるようです。
(↑)石鉢の中には金魚も泳いでいるようでしたが、
これらが岡家の時代からここにあったものなのかどうかは分かりません。
(↑)公園の北側の入り口付近にはアジサイが咲いていました。
梅雨のこの時期はやっぱりアジサイが美しいです。
(↑)最後にもう一度、
この公園のシンボル的な存在である「蔵」を見てみましょう。
江戸時代の末期に建てられたというこの土蔵・・・
関東大震災や戦時中の空襲によって破損を受けながらもその都度修復され、
近年の再開発を経ても取り壊されることなく保存整備されて
現在に至っているんですね。
(↑)素朴な造りながら、こちらも歴史と風格を感じさせる建物です。
通常は扉は閉じられていて中には入れないんですが、
毎年3月のひな祭りや5月の端午の節句などにはこの扉が開放され
ひな祭りにはひな人形(ひな壇)が、端午の節句には鯉のぼり・兜などが
展示されているそうですので、今度はそういった機会に
ぜひ蔵の中も見学してみたいものです。
地域の歴史を見守ってきた旧家の建築物が残る公園・・・
今は地域の人たちの憩いの場になっている、そんなスポットなんですが
立ち寄ってみるとその昔日の面影になんとも心落ち着くものがありました。
地域のシンボルとして、また地域の人々の心のオアシスとして
これからも大事にしていってほしいものですね。