2023年03月17日
第6回 旅チケット
3月も中旬に入り、一気に春めいてきましたね。
南関東ではすでに桜が開花しています。
私・松風も仕事の多忙期をいよいよ抜け出し(?)、
世の中のコロナ感染もいよいよ落ち着いてきたというところで、
先日3月11日(土)はとある同人イベントに一般参加してきました。
今回はその時のイベントの様子を簡単にレポートしておきたいと思います。
(↑)降り立ったのは、東京は都営浅草線の浅草橋駅。
今回の会場はここからほど近い隅田川沿いのビルなんですが、
この日の東京は気持ちいいくらいに晴れ渡り、歩いているとちょっと汗ばむ陽気でした。
(↑)江戸通り(国道6号線)から隅田川寄りの柳橋エリアは、柳橋芸妓で知られたかつての花街。
芸妓さんの姿が消えた今も、江戸時代から続く人形店などが軒を連ねています
(・・・こいのぼりはちょっとまだ早い気がしますけど(笑))。
そんな江戸情緒をかすかに残すビル街を歩くこと5分。会場の東商センターが見えてきました。
(↑)この日のイベントは「旅チケット」。
毎年1〜2回(会場はその時々によりますが)開催されているイベントで、今回が6回目。
以前も参加しているので、この日記でも既に過去の回を紹介していたかと思いますが、
「旅と地理のマーケット」と称する主に旅行系作品中心の同人誌即売会イベントです。
(↑)というわけで、早速3階の会場に向かいます。
ここのカタログはパスポート仕様。入国(入場)スタンプを押してもらって入場します。
(↑)参加サークル数は80サークルほどの小規模イベントですが、
サークル参加者も一般参加者もそこそこ多く、会場内は予想以上に賑わっていました。
ここ3年ほどはコロナ禍のため、旅行系サークルにとっては
思うように「旅行に行けない」「イベントに出られない」の二重苦だったかと思いますが、
逆境にもめげず(?)それぞれの力作を並べている各サークルさんを見ていると
このジャンルの底力をひしひしと感じます。
(↑)にじたまの相方の水瀬も、自サークル「LavenderBlue」で参加していました。
相変わらずのマイペースっぷりですが、前週の5日(日)は九州コミティアにサークル参加し、
その後北九州から18きっぷで中国地方各地の路線を乗りつつ、いつしか東京まで移動して
ここにも参加しているというツワモノっぷりです。
鉄道や旅行ジャンルというのはこういうめっぽうタフな人たちで成り立っています(笑)。
(↑)会場のすぐ横は、春のうららの隅田川。
観光船が行き来するその先にはスカイツリーもそびえたっています。
かつて花街だった頃のこの一帯は多くの料亭や船宿が軒を連ねていたそうですが、
いつしか時は流れ、その風景も大きく様変わりしてしまいました。
この会場である東商センターも、老朽化に伴い近く建て替えられるとのことで
今のこのビルでこのイベントが開催されるのも今回で最後なんだとか。
(↑)即売会は15時30分に終了。
…なんですが、その後にはアフターイベントの「じゃんけん大会」があります。
サークル参加者のみなさんが持ち寄った各地のお土産品などが景品として
じゃんけんの勝者に渡されるという、こちらも恒例イベントなんですが
一般参加者も参加できるので今回は私も思いっきり参加してきました。
(↑)そしてアフターイベントも最後まで楽しんで、イベントは終了。
出国(退出)スタンプをパスポート(カタログ)に押印して会場を後にしました。
私自身久しぶりのイベント参加でしたが、あっという間の3時間半でしたね。
このところ忘れかけていた小規模オンリーイベントならではの濃い情熱(?)を
久々に心ゆくまで堪能できた気がします。
コロナやら仕事の多忙やらで、このところはサークル活動も旅行もお預け状態の私でしたが
今は会場で購入した各サークルさんの秀作の数々を改めて読ませていただきながら
いろいろ疲れている身に元気を充電させてもらっています。
いや〜、同人イベントはやっぱり楽しいですね。
(↑)今回の戦利品です。
右はじゃんけん大会で獲得したふぐの燻製。
提供してくださったサークルさんに改めて感謝申し上げます(笑)。
(↑)イベント後は、浅草橋駅前の某韓国屋台のお店でささやかな宴会。
これもコロナ禍で長らくお預け状態でしたが、イベント後の一杯はやっぱり格別です。
チョコミント味のジョウンデー(韓国焼酎)はちょい微妙な味(?)でしたが(笑)。
posted by 松風あおば at 23:31
| 日記
2023年03月10日
溝の口駅前の防空壕
東急田園都市線の溝の口駅、JR南武線の武蔵溝ノ口駅南口のロータリーの近く、
駅前道路の横断歩道を渡ると、目の前にこんなものが現れます(↓)。
台地の崖下にぽっかりと開く穴・・・?
戦時中の防空壕の跡です。
みなさんのお住まいの地域にもおそらくこういった戦時中の遺構の一つや二つはあるかと思いますが、
宅地開発が進んだ都市部近郊でも、防空壕の跡って今も結構あちこちに残ってるんですよね。
川崎市中部の中核駅・溝の口駅の真ん前に今なお残るこの防空壕は
この地域ではとりわけ目立つ存在で
仕事でよくこの辺りに来る私・松風にとっても既に馴染み深い存在なんですが、
特に遺構として保存されているというわけでもなさそうです。
簡易な柵で塞がれていた時期もあったんですが、今はまたむき出しになっており、
もしかすると今後再開発などで破壊されてしまう可能性もあるかも・・・と思い、
先日通りかかった際に写真に収めておきました。
(↑)開口部の幅は1.5m程度、高さは1m程度でしょうか?
中をのぞくと、いかにも人力で掘られた素掘りの穴という感じなんですが、
入り口から2mほどのところで左に曲がっており、奥行きや内部構造を窺うことはできません。
どこか異世界にでも繋がっているようなミステリアスな雰囲気も感じます。
戦時中、多摩川西岸の川崎市域(南武線沿線)には多くの軍需工場があり、
1945年(昭和20年)4月15日の川崎大空襲ではそれらが主な標的となったほか、
その周辺市街地含む一帯が焼け野原となり、多くの犠牲者が出ました。
ここ溝の口一帯も、戦時中は今の洗足学園から川崎北税務署あたりにかけて
日本軍の光学兵器を開発・製造する日本光学梶i現・ニコン梶jの工場があったためか、
同年4月22日に大規模な空爆を受けたそうです(久本空襲)。
その際はきっと多くの人々が避難したであろうこの防空壕・・・。
実際にどれくらいの命を救ったのか?具体的な数字こそわかりませんが、
今なお堂々たる雰囲気を残すその姿にはどこか頼もしいものも感じます。
じっと眺めていると、
この内部がどうなっているのか?どうしても気になってきてしまいますが、
さすがに中に入るのはマズいですので、ウズウズする気持ちを抑えつつ(?)
ここは写真だけ撮って立ち去りました。
奇しくも、東京大空襲から78年目の日を迎えた今日(3月10日)ですが、
今なお世界のどこかで戦争の惨禍が繰り返されていることを思うと、
生まれてから今日まで平和な世の中でとっぷり暮らせていることが
むしろ奇跡的なことなのではないかとも思えてきます。
過去の悲惨な戦争の記憶を今に伝えるかつての防空壕の跡・・・
今の私たちが日頃忘れがちな平和の尊さを感じさせてくれる遺構として
出来れば今後も何らかの形で残していってほしいものです。
駅前道路の横断歩道を渡ると、目の前にこんなものが現れます(↓)。
台地の崖下にぽっかりと開く穴・・・?
戦時中の防空壕の跡です。
みなさんのお住まいの地域にもおそらくこういった戦時中の遺構の一つや二つはあるかと思いますが、
宅地開発が進んだ都市部近郊でも、防空壕の跡って今も結構あちこちに残ってるんですよね。
川崎市中部の中核駅・溝の口駅の真ん前に今なお残るこの防空壕は
この地域ではとりわけ目立つ存在で
仕事でよくこの辺りに来る私・松風にとっても既に馴染み深い存在なんですが、
特に遺構として保存されているというわけでもなさそうです。
簡易な柵で塞がれていた時期もあったんですが、今はまたむき出しになっており、
もしかすると今後再開発などで破壊されてしまう可能性もあるかも・・・と思い、
先日通りかかった際に写真に収めておきました。
(↑)開口部の幅は1.5m程度、高さは1m程度でしょうか?
中をのぞくと、いかにも人力で掘られた素掘りの穴という感じなんですが、
入り口から2mほどのところで左に曲がっており、奥行きや内部構造を窺うことはできません。
どこか異世界にでも繋がっているようなミステリアスな雰囲気も感じます。
戦時中、多摩川西岸の川崎市域(南武線沿線)には多くの軍需工場があり、
1945年(昭和20年)4月15日の川崎大空襲ではそれらが主な標的となったほか、
その周辺市街地含む一帯が焼け野原となり、多くの犠牲者が出ました。
ここ溝の口一帯も、戦時中は今の洗足学園から川崎北税務署あたりにかけて
日本軍の光学兵器を開発・製造する日本光学梶i現・ニコン梶jの工場があったためか、
同年4月22日に大規模な空爆を受けたそうです(久本空襲)。
その際はきっと多くの人々が避難したであろうこの防空壕・・・。
実際にどれくらいの命を救ったのか?具体的な数字こそわかりませんが、
今なお堂々たる雰囲気を残すその姿にはどこか頼もしいものも感じます。
じっと眺めていると、
この内部がどうなっているのか?どうしても気になってきてしまいますが、
さすがに中に入るのはマズいですので、ウズウズする気持ちを抑えつつ(?)
ここは写真だけ撮って立ち去りました。
奇しくも、東京大空襲から78年目の日を迎えた今日(3月10日)ですが、
今なお世界のどこかで戦争の惨禍が繰り返されていることを思うと、
生まれてから今日まで平和な世の中でとっぷり暮らせていることが
むしろ奇跡的なことなのではないかとも思えてきます。
過去の悲惨な戦争の記憶を今に伝えるかつての防空壕の跡・・・
今の私たちが日頃忘れがちな平和の尊さを感じさせてくれる遺構として
出来れば今後も何らかの形で残していってほしいものです。
posted by 松風あおば at 23:58
| 日記