2018年05月04日

春の北鎌倉(2)〜明月院〜

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新緑の季節。春の陽気に誘われて、北鎌倉を散策してきた
というお話を前回からしていますが、今回はその続きのお話です。

北鎌倉駅にほど近い、鎌倉五山第二位の禅宗寺院・円覚寺を参拝した後は
次なるスポット、「あじさい寺」として知られる「明月院(めいげついん)」を目指します。
円覚寺を出た頃には朝から降り続いていた小雨も上がり、
雲の合間から薄日が差すようになっていました。


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(↑)円覚寺を出た後しばらくは横須賀線の線路に沿って鎌倉方面に歩きます。
  「横須賀線」といえば、伝統的なラインカラーである
  青とクリーム色(横須賀色(スカ色))の帯をまとったE217系電車が主力ですが
  湘南新宿ラインが乗り入れるようになった今は
  緑とオレンジ色(湘南色)の帯をまとったE231系・E233系が走る風景も
  珍しくなくなりました。

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(↑)線路沿いの道から明月院に続く路地へ入ります。
  緑豊かで閑静な古くからの住宅地の小道は行き交う人や車もほとんどなく
  周囲は静まり返っていて、小鳥のさえずりだけが山に響き渡っています。
  
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(↑)円覚寺からゆっくり歩いて10分ほどで明月院の「総門」までやってきました。
  つい先ほど観てきた円覚寺に比べると、地味でこじんまりとした印象です。


明月院・・・
平安時代末期の平治の乱で戦死した首藤刑部大輔(すどうぎょうぶだゆう)
山ノ内俊道(やまのうちとしみち)の子・山ノ内経俊(やまのうちつねとし)が
父の菩提供養のために永暦元年(1160年)に創建した「明月庵」を起源とする
臨済宗建長寺派の寺院で、山号は「福源山」。
鎌倉時代には、鎌倉幕府5代執権・北条時頼がこの地に「最明寺」を建立し
隠居後自らここで出家生活を送り、
時頼の死後はその子・北条時宗がその最明寺を前身に「禅興寺」を創建。
室町時代の康暦2年(1380年)頃に、
関東管領の上杉憲方(うえすぎのりかた)が「禅興寺」を中興した際に
「明月庵」を「明月院」と改称し、禅興寺の塔頭寺院と定めたものの、
その後時を経た明治初年に禅興寺自体が廃寺となってしまい
今ではその塔頭だった明月院のみが残っている・・・
という、ちょっと複雑な経歴を持つお寺なんですが、
境内はアジサイの名所として知られ、「あじさい寺」とも呼ばれています。


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(↑)総門を入ってすぐ左手にあるのは鎌倉幕府5代執権・北条時頼の墓所。
  鎌倉幕府で執権を務める北条氏の惣領一族(得宗家)の権力基盤を
  確固たるものとしつつも、37歳の若さでこの世を去った時頼は
  晩年出家して最明寺入道としてここで過ごし、今もこの地で静かに眠っています。

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(↑)墓所の隣にある北条時頼を祀る廟所。
  廟所では今も時頼の命日とされる11月22日に供養の法事が行われているとか。

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(↑)総門付近から見た明月院境内。ここも丘陵地の谷戸に造られたお寺ですが
  生い茂る緑が深く、あまり建築物はありません。

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(↑)総門から山門、方丈へと続く明月院の参道。
  その両脇には約2,500株ものヒメアジサイが植えられており
  これが「あじさい寺」と呼ばれる所以です。
  梅雨時(6月)のシーズンにはその淡い青色の花々で境内が染まり、
  その美しさは「明月院ブルー」と称され絶賛されています。

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(↑)花芽がふくらみ色づく前の4月のアジサイ。
  実はこの寺がアジサイで有名になったのはさほど古い話でもないんですね。
  戦後、参道を整備する際に人手や物資が不足していたため、杭の代わりに
  「手入れが比較的楽だから」という理由でたくさんのアジサイを植えたものが
  梅雨時に美しい花を咲かせるようになり、次第に有名になったんだとか。
  今はアジサイのみならず、季節ごとにいろいろな花が咲き乱れる
  「花の寺」としても知られています。

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(↑)「山門」です。円覚寺の山門などと比べるとやはり簡素で素朴な印象ですが
  独特の風情があって、このお寺の雰囲気にとてもよく馴染んでいます。

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(↑)山門のすぐ近くに建つ「方丈(ほうじょう)」。
  前回も触れたように「方丈」はもともとは寺の住持の住居を指す言葉ですが、
  この明月院ではこの方丈が実質的な「本堂」の役割を果たしていて
  お寺のパンフレットの案内図にも「本堂」と書かれています。
  内部には本尊の「聖観音菩薩坐像」が祀られています。

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(↑)方丈内部の右の部屋の奥には「悟りの窓」と呼ばれる丸窓があり
  その窓から見える裏庭の景色は、明月院を象徴する風景として知られています。
  「丸」は禅宗においては煩悩が取り除かれた「悟り」の境地を示すもので
  またここでは「月」の世界も表現されているのだとか。
  「明月院」はやはり「月」と関係があるんですね。
  
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(↑)方丈裏の庭園は通常は非公開で、拝めるのは丸窓から見える部分のみとなりますが、
  その手前の枯山水の庭園も美しく、見ているとなんとも心が落ち着きます。

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(↑)方丈の左手を少し奥に進むと「開山堂」というお堂があります。
  ここは室町時代に上杉憲方が密室守厳(みっしつしゅごん)という禅師を開祖として
  禅興寺を中興した際に建てた「宗猷堂(そうゆうどう)」というお堂を
  後に「開山堂」と改めたもので、内部にはその開祖・密室守厳の木像と、
  最明寺・禅興寺・明月院の歴代住持の位牌が祀られています。

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(↑)その開山堂の裏手の崖にある「明月院やぐら」。
  「やぐら」とは鎌倉時代〜室町時代に多く造られた
  鎌倉特有の崖をくり抜いて作った墓所のこと。
  この明月院やぐらは、もともとは山ノ内経俊が
  平治の乱で戦死した父・山ノ内俊道の菩提を弔うために造ったもの
  と伝えられており、鎌倉に残るやぐらの中でも最大級のものなんだとか。

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(↑)やぐら内の中央にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、
  この寺の中興の祖である上杉憲方の墓。
  生前に自ら建てた墓塔と言われています。
  壁面には釈迦如来、多宝如来、十六羅漢の浮き彫りもありますが、
  凝灰岩質であるために風化が著しく、その彫成年代などついては不明とのこと。
  中には入れませんが、覗くと薄暗くちょっと不気味な雰囲気でもありますね。
  
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(↑)さて、境内の見学できるスポットは一通り見たので、このあたりで引き返し・・・
  と思ったら、山門の近くにもう一つ見るべきスポットがありました。
  「ウサギ共和国」(!?)・・・うさぎ小屋です。

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(↑)明月院はやはり「月」をテーマとして意識したお寺のようで、
  月と言えば「うさぎ」というイメージから、うさぎも飼育しているようですね。
  そういえば総門の受付でもらったお寺のパンフの表紙も
  「方丈の丸窓の前でうさぎがはねている」写真でした。

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(↑)小屋の中には2羽のうさぎがいました。名前はモモ(左)とネロ(右)。
  もふもふしててかわいいです。動物はやはり心を癒してくれるものがありますね。
  眺めていると、心ぴょんぴょん♪
  ひと目で、尋常でないもふもふだと見抜いたよ(←あやねるの声で)。

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(↑)うさぎ小屋の周辺も春の花が咲き乱れています。
  春風がそよ吹くそんな静かな佇まいの中に身を置いていると、
  なんとも心地よくて時が経つのを忘れてしまいそうでした。

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(↑)「沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、
  盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす・・・」
  梅雨時には、この沙羅双樹も可憐な白い小さな花をつけます。
  アジサイが見頃の梅雨時は参拝客でごった返すそうですが、
  やはり梅雨時にも一度来てみたいですね。

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(↑)総門への帰り道はアジサイの参道から少しそれて、竹林の中も歩いてみました。
  凛とした禅寺の境内にはまっすぐに伸びた美しい竹が似合います。
  今の季節はところどころタケノコも出ていました。

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(↑)「竹を傷つけないで下さい。あなたの心にも大きな傷が残ります。」
  さすがは精神世界を重んじるお寺の注意書き(汗)・・・肝に銘じておきます。


鎌倉五山の円覚寺・(この後に行く)建長寺などに比べれば
規模的に小さくこじんまりとしてあまり目立たないお寺ながら、
アジサイや四季の花々に彩られ、歴史と自然との調和を感じられるスポットとして
注目度の高い明月院。
実際に境内を歩いてみると、なんとも言葉では表せない不思議な魅力に気付かされます。
中世の権力者たちがこの地を供養の地、隠居の地、墓所の地として選び
ここに寺院を興した理由もよくわかる・・・というと、ちょっと大袈裟かもしれませんが
今も訪れる人の心を癒し、不思議な元気を与えてくれるパワースポットになっている
というのは間違いないような気がしました。


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さて、明月院を出た後は
鎌倉五山第一位にして鎌倉随一の名刹・建長寺、そして鶴岡八幡宮を目指しますが、
その話はまた次回にしたいと思います。
posted by 松風あおば at 15:50| 日記