2018年05月19日

春の北鎌倉(3)〜建長寺、鶴岡八幡宮〜

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前回はゴールデンウィークのレポートを挟んでしまいましたが、
今回はその前からお伝えしている「春の北鎌倉散策」のお話の続きです。

北鎌倉駅からスタートして、円覚寺、明月院と2つのお寺を見てきましたが
ここまででも結構歩きましたね。この時はとても心地よい疲れを感じていましたが
お寺巡りというのは想像以上に体力を要するものなんだと実感されられます(汗)。

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さて、明月院を出た後は再び鎌倉方向へと歩みを進めますが、
次なる目的地は、鎌倉五山第一位・・・鎌倉の禅宗寺院の中でも最も格式が高く、
鎌倉を代表する観光スポットとして名高い「建長寺」。
明月院からは0.6kmほどの距離です。

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(↑)明月院から建長寺へ向かうその途中にもお寺がありました。
  「長寿寺」という臨済宗建長寺派の寺院で、正式名称は「宝亀山 長壽寺」。
  実はここ、これから向かう建長寺の塔頭寺院(たっちゅうじいん)なんですね。
  本尊は観音菩薩とのことで、鎌倉のガイドブックにも載っています。

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(↑)ここは南北朝時代の建武3年(1336年)、
  鎌倉幕府を滅ぼし室町幕府を興した足利尊氏の鎌倉邸跡に創建され、
  後に尊氏の子で鎌倉公方の足利基氏が父・尊氏の菩提寺とした寺で、
  境内には尊氏の遺髪を埋めたと伝わる五輪塔があります。
  初夏のアジサイや秋のもみじが色づく頃の庭園がとりわけ美しい
  知る人ぞ知る鎌倉の隠れた名所なんだそうですが・・・
  公開は季節限定とのことで、残念ながらこの時は非公開(泣)。
  また季節を見計らって訪れたいと思います。

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(↑)長寿寺からさらに少し歩くと、今度は学校の建物が見えてきました。
  ここは「鎌倉学園中学校・高等学校」、通称「鎌学」。
  私立の男子校で、神奈川県で高校受験をした人なら知らない人はあまりいないかと思います。
  サザンオールスターズの桑田佳祐の出身校としても有名ですね。

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(↑)実はその鎌倉学園のすぐ隣が「建長寺」なんですね。
  この鎌倉学園は、建長寺が宗派の師弟教育のために設立した
  「宗学林(そうがくりん)」という教育施設を前身とした学校で、
  今も理事長をはじめ学校の理事の多くが建長寺や関係寺院の僧侶なんだとか。
  この学校では禅の精神の体験を目的とした建長寺での坐禅教室なども
  教育の一環として取り入れているそうです。

というわけで、鎌倉随一の名刹・建長寺までやってきました。

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建長寺・・・
鎌倉時代の建長5年(1253年)に、鎌倉幕府5代執権・北条時頼が
中国(南宋)の禅僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて創建した
日本最初の禅の専門道場としての寺院で、正式名称は
「巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)」。
鎌倉五山の第一位とされる臨済宗建長寺派の大本山です。
度重なる地震や大火により創建当時の建造物は失われており、
現在の建物はすべて江戸時代以降に再建、又は他所から移築されたものだそうですが
総門・山門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は
創建当時の面影を残すものとされ、その多くが重要文化財などに指定されています。

根菜類やこんにゃく、豆腐を胡麻油で炒めたものに出汁(精進出汁)を加え
醤油や味噌で味付けしたおなじみの汁物「けんちん汁」は、一説に
ここ建長寺が発祥(「建長汁」が訛ったもの)と言われていますね。


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(↑)入口にあたる「総門」は、江戸時代の天明3年(1783年)の建立で
  昭和15年(1940年)に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から
  移築されたものだそうですが、なかなかの風格があります。

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(↑)「巨福山」の山号が書かれた額はこの寺の10世住持にして書の名手であった
  一山一寧(いっさん いちねい)の筆と伝えられています。
  「巨」の字の真ん中下に余計な「点」が加えられているのがちょっと気になりますが、
  この点があることで全体に安定感が出ているんだとか。

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(↑)総門の先にあるのが「山門(三門)」(安永4年(1775年)造)。
  高さ約30mの巨大な立派な門です。こちらの額には「建長興国禅寺」の寺号が刻まれています。

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(↑)山門の奥には仏殿がありますが、その仏殿手前の参道脇には
  蘭渓道隆の手植えと伝えられる推定樹齢760年のビャクシンの木があります。
  宮崎アニメに登場しそうな(?)もの凄い生命力を感じる巨木です。
  
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(↑)「仏殿」・・・お寺の本尊の仏様が安置されている「本堂」です。
  現在の仏殿は4代目のものと言われ、元々は東京・芝の増上寺にあった
  江戸幕府2代将軍・徳川秀忠夫人・崇源院の霊屋(たまや:霊廟)だったものを 
  正保4年(1647年)に移築したものなんだとか。
  堂内に安置されている本尊は「地蔵菩薩坐像」。
  禅宗寺院では一般的に「釈迦如来」が本尊であることが多いのですが
  実は、建長寺があるこの場所はかつては「地獄ヶ谷」と呼ばれた処刑場で、
  元々地蔵菩薩を本尊とする「伽羅陀山心平寺」というお寺が建っていたそうで
  その本尊を建長寺が引き継いで今日に至っている、という由来があるんですね。
  お寺の歴史というのは結構複雑だったりします。 

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(↑)仏殿のさらに奥にあるのは「法堂(はっとう)」(文化11年(1814年)造)。
  法堂とは、住持(住職)が修行僧たちに説法(講義)をする場で
  禅宗以外の宗派では「講堂」と呼ばれる建物ですが、
  建長寺では388人もの僧侶がここで説法を受けていた記録もあるんだとか。
  現在は法要・講演・展覧会などに使われているそうです。
  
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(↑)法堂よりさらに奥にあるのは「方丈(ほうじょう)」。
  建長寺の方丈は「龍王殿」と呼ばれ、現在の建物は総門と同じく
  昭和15年(1940年)に京都の般舟三昧院から移築したもので、
  内部には夢窓疎石の作といわれる庭園もあります。

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(↑)方丈入口の門である「唐門」。
  唐破風(からはふ:曲線を利用した破風)造り・漆塗りの実に立派な門です。
  仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人・崇源院の霊屋から移築したもので、
  平成23年(2011年)の大修理で往時の煌びやかな美しい姿に再現されています。
 
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(↑)方丈内部とその庭園は見学可能・・・だったんですが、
  実はこの時、私は不覚にもその入口を見落としてしまい(汗)、恥ずかしながら
  中へは入れないものと誤解してここで引き返してしまいました(実は右手奥に入口がありました)。
  方丈はまた次に来たときにじっくり見学したいと思います。

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(↑)総門から方丈まで、建長寺の伽藍を構成する建物をざっと見てきましたが、
  これらの建物はほぼ一直線に並んでいました。振り返ってみるとその様子がよくわかります。
  総門まで戻りがてら、もう一度境内をよく見てみます。

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(↑)建物の屋根など至る所に目につく「三つ鱗(みつうろこ)」の紋。  
  鎌倉幕府の執権職を世襲し、事実上の最高権力者一族であった北条氏の家紋です。
  その北条得宗家の権力基盤を固めた5代執権・北条時頼が創建した建長寺・・・
  その威勢の痕跡はこのお寺の中に今もたくさん残されています。

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(↑)山門の右手にある、
  建長寺の開祖・蘭渓道隆の墓塔を守る塔頭寺院「西来庵(せいらいあん)」。
  ここは蘭渓道隆の墓塔やその像を安置する「開山堂」、坐禅堂などがある
  この寺の聖域ともいえる場所で、修行僧たちの修行道場でもあります。
  一般の参拝客は入れませんが、入口の門(嵩山門(すうざんもん))の向こうは
  明らかにこちら側とは違う(?)何か厳粛な空気が流れているのがわかります。

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(↑)その嵩山門の近くにある、建長寺の「梵鐘」。
  茅葺の鐘楼に吊るされた高さ約2.1m、重さ2.7トンの巨大な鐘は
  建長7年(1255年)に鋳造されたものだそうで、
  建長寺創建当時の数少ない貴重な遺品の一つとして国宝に指定されています。


創建当時の建造物こそ失われているものの、
伽藍を構成する建物の圧倒的な規模や荘厳さで、その威厳と風格を今に伝える建長寺。
歴史ある大寺院の雰囲気はやはり一般的なお寺(小寺院)のそれとはかなり違うものがありました。
そこには中世の権力者の示威的な意向が汲み取れるものもありましたが、
現在においても単なる宗教施設としてではなく、
歴史の生き証人としての大切な役目も担っている存在なのかもしれません。



さて、建長寺を参拝した後は、この日最後の目的地・・・
鎌倉の中心的存在にして鎌倉を象徴する神社「鶴岡八幡宮」を目指します。

建長寺から鶴岡八幡宮までは1.7qほどの道のりなんですが
いわゆる「鎌倉街道」と言われる道の一つで
三方を山に囲まれた鎌倉への陸路の入口である「鎌倉七口」の一つ・
「巨福呂坂(こふくろざか)」と呼ばれる切通しの峠を越えます。
鎌倉時代末、新田義貞率いる倒幕軍が、鎌倉幕府最後の(16代)執権・
北条守時らの率いる幕府軍と激戦を繰り広げたというその一帯は
その地形的な険しさからか今も人家は少なく、その人通りの少ない道は
さすがに夜は歩きたくない(?)寂しさが漂っていました。

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(↑)建長寺から巨福呂坂に至る道の途中に、もう一つ小さなお寺がありました。
  建長寺の塔頭寺院の一つで「円応寺(えんのうじ)」というお寺です。
  建長寺境内・境外に今もある建長寺の塔頭寺院は全部で12か院だそうですが
  常時一般公開しているのはこの円応寺だけとのことで
  ちょっと立ち寄ってみることにします。

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(↑)ここは人が死後に冥界で出会うという「閻魔大王」を中心とした
  「十王(じゅうおう)」を祀るお寺。
  元は「新居閻魔堂(あらいえんまどう)」という海近くの川沿いにあったお堂で、
  江戸時代の元禄16年(1703年)の地震と津波で破損したため、
  その後現在の場所に移されて今に至っているのだとか。

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(↑)山門の少し先にある円応寺の本堂。
  その内部は鎌倉時代の仏師・運慶が作ったといわれる
  「閻魔王坐像」(重要文化財)を中心に、「初江王」「宋帝王」などといった
  死者の生前の行いを裁く「十王」の像が参拝者を囲むように並んでいて、
  普通のお寺とは大分雰囲気が違うものがありました。

円応寺の堂内は撮影不可で、写真ではお見せできないのですが  
本尊の閻魔様をはじめ十王の像はとても写実性豊かで、その睨みをきかせている表情は
本当に目の前にリアル閻魔様たちがいるかのような錯覚さえ覚えます。
死んだときに閻魔様に厳しい裁定を下されないよう、
私も悪いことはなるべくしないように生きていこうと思います、ハイ(笑)。


さて、円応寺から再び歩き始め、
巨福呂坂(巨福呂坂洞門というトンネルがあります)を越えると
やがて人家が多く見え始め、車や人の往来もにぎやかな鎌倉中心部のエリアに入ります。
いよいよ鶴岡八幡宮の境内も見えてきました。

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鶴岡八幡宮・・・
平安時代の康平6年(1063年)に、前九年の役で奥州を平定した源頼義が
出陣に際して加護を祈願した京都の石清水八幡宮を鎌倉由比ヶ浜郷に勧請し創建した社殿を、
治承4年(1180年)に鎌倉入りした源頼朝がこの地に移したもので
それ以後は源氏の氏神、鎌倉武士の守護神として、
また鎌倉幕府初代将軍・源頼朝ゆかりの場所として
多くの人々の信仰を集めてきた、鎌倉を象徴する神社です。

全国屈指の初詣の参拝者数を誇る神社としても知られていますので
知らない方はほとんどいないと思いますが、鎌倉を代表する観光スポットだけに、
正月のみならずいつでもたくさんの人が訪れていて
今は外国人の観光客もとても多く見受けられます。
私自身ここへ来たのはかなり久しぶりだったんですが
ここの雰囲気は昔から変わっていないですね。

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(↑)鶴岡八幡宮の参道は、由比ヶ浜から鎌倉の中心部をほぼ南北に貫く
  「若宮大路」と呼ばれる大通りで、
  古都・鎌倉がこの神社を中心に発展したことを物語っています。
  「三の鳥居」と呼ばれる大鳥居の先が現在の境内で、
  この日も大勢の人で賑わっていました。

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(↑)境内に入ってすぐの所に「源平池」という池があり、
  その池を横切るように石造の橋が架けられているのが目に入ります。
  「太鼓橋」という橋で、私の子どもの頃はこの上を渡ることも出来たんですが
  安全対策のためか(?)今は柵で仕切られていて中に入ることはできません。

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(↑)境内の参道をまっすぐ進むと、舞を奉納する舞台「舞殿」があり
  その先をさらに進むと本宮(上宮)に続く石段の下まで来ます。
  寺社仏閣巡りは階段の上り下りがつきもの・・・脚力が要求されますね(汗)。

その石段の途中、
中段の左脇にはかつて「隠れ銀杏」と呼ばれたイチョウの巨木がありました。
その木は建保7年(1219年)1月27日、2代将軍・源頼家の子の公暁(くぎょう)が
その木影に隠れて待ち伏せをし、3代将軍・源実朝を殺したという伝説で有名な
この神社のシンボル的存在・・・だったんですが、
なんと平成22年(2010年)3月10日の強風で折れて倒れてしまったんですね。
私自身このイチョウの大木はよく覚えていただけに、
このニュースは結構ショックだった記憶があります。

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(↑)幹が折れ倒れてしまった大イチョウ。
  根元から高さ4メートルまで残った部分は、7メートル離れた場所に移植されて
  今も保存されていました。

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(↑)一方、元々大イチョウがあった場所には、木の根から新たな若木(蘖:ひこばえ)が伸び始め、
  倒れた大イチョウの後継樹として今もすくすく成長しているようです。
  この若木が先代の木と同じ大きさになるには気の遠くなるような時間を要しますが
  この先も神様に見守られながら大木に成長していってほしいものです。

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(↑)階段を上りきると、本宮の「楼門」の袂に出ます。
  扁額に記された八幡宮の「八」は鳩の向き合う形を表したもの・・・
  これは八幡神の使いが鳩であることにちなんだものなんだとか。

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(↑)本宮は、文政11年(1828年)に江戸幕府によって造られたもので、
  本殿、幣殿、拝殿が縦に並んだ形式になっています。
  その横にはこの神社の宝物を展示する宝物館もあり、
  有料(200円)で見学できるようになっています。

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(↑)ここの絵馬はなんと、イチョウの葉の形をしています。
  若木のイチョウの生命力にあやかろうということらしく
  多くの人が願いを捧げています。

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(↑)本宮楼門(石段上)からは鎌倉の街を見下ろせます。
  「いい国造ろう」でおなじみ、12世紀末に源頼朝によって造られた
  鎌倉幕府という武家政権によって新たな時代がスタートしたものの
  それは血で血を洗う権力闘争の時代の始まりでもあり、
  この鎌倉はその後の幾多の悲劇の舞台にもなってきました。
  さまざまな歴史を刻んできた古都・鎌倉・・・
  その歴史の一部始終を静かに見守ってきた鶴岡八幡宮・・・
  ここに立つといろいろな想いが込み上げてきます。

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(↑)さて、北鎌倉から歩いてきた今回の散策もひとまずここがゴール・・・
  ということで、再び石段を下りて帰路に着きます。
  源平池のほとりまで来たところ、
  池のほとりの「神苑 ぼたん庭園」の牡丹がちょうど見頃とのことでしたので、
  最後にここを見学して帰ることにしました。

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(↑)円覚寺の塔頭「松嶺院」で咲いていた牡丹も綺麗でしたが、
  ここは「ぼたん庭園」と言うだけあって、園内見渡す限り牡丹が咲き乱れています。
  牡丹にもいろいろな種類があるようですが
  色とりどりの大輪の花が一日歩いてきた疲れを忘れさせてくれます。

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    牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ



北鎌倉駅からスタートし、円覚寺〜明月院〜建長寺〜鶴岡八幡宮と巡ってきた
今回の「春の北鎌倉の旅」・・・
私自身久々の鎌倉ということもあって、以前にも来たことがあるスポットであっても、
いろいろ新しい発見や感動がありましたが、なによりも歩くことで日頃のストレス解消ができ
心身共にリフレッシュすることができたように思います。
「パワースポット巡り」として、若い女性などにも最近は人気の「寺社仏閣巡り」・・・
「歩く修行」(?)も兼ねて、心地よい疲れを感じつつ
自分と静かに向き合える貴重な時間をも過ごすことができますので
みなさんもたまにはこんな旅いかがでしょうか?
posted by 松風あおば at 01:04| 日記