2020年09月04日
福知山線旧線跡(武田尾)を歩く(3)
兵庫県の尼崎と京都府の福知山を結ぶJR福知山線・・・
1980年代に単線非電化のひなびたローカル線から
複線電化の一大幹線へと変貌したこの路線ですが
その過程において
新たに掘られたトンネルを経由する新線に切り替わる形で
廃線となった区間(生瀬〜道場間)があり
その旧線跡の探索をしに現在の武田尾駅周辺までやってきた
・・・という話の続きです。
武庫川の渓谷を跨ぐトンネルとトンネルに挟まれた
橋梁上に造られた現在の武田尾駅から
旧線時代の武田尾駅があった場所までやってきましたが
その先には武庫川渓谷沿いのかつての旧線の線路跡を
ハイキングコースとして整備した遊歩道があります。
(↑)現在は駐車場となっている旧・武田尾駅跡をさらに少し行くと
武庫川の支流の僧川との合流地点に差し掛かりますが
そこに架かる僧川橋梁がハイキングコースの入口になっています。
この橋も鉄道時代の橋梁の桁が再利用されているそうなんですが、
この付近一帯の河川改修工事により
原型をとどめない程に改修されてしまっているため
ここには鉄道時代の面影はありません。
(↑)ここから武庫川沿いに4.7kmの旧線跡が
ハイキングコースとして整備されているんですね。
(↑)入口付近には「注意事項」が掲げられていました。
廃線跡ハイキングコースの土地の所有者は今もJR西日本。
実はこの廃線跡・・・旧線廃止後しばらくは立入禁止だったんですね。
しかし武庫川渓谷沿いのこの区間は
鉄道時代から知られた風光明媚な場所だったことで
立入禁止にもかかわらずハイキングに訪れる人が後を絶たなかったため
行政(宝塚市)の指導の下、一定の安全対策を施した上で
2016年に正式な遊歩道として整備されるに至ったんです。
正式な遊歩道となった今も
安全確保はあくまで「自己責任」ということが強調されていました。
(↑)ハイキングコースには旧線の線路の枕木がそのまま残されています。
少し歩きにくいんですが、枕木を踏みしめると
鉄道の廃線跡を歩いているなという実感が沸いてきます。
(↑)木々の新緑がまぶしい5月の渓谷の廃線線路跡・・・
汗ばむような陽気ながら川べりの風は涼しく、なんとも心地よかったです。
(↑)武庫川の上流側を振り返ってみると
今しがた歩いてきた旧・武田尾駅跡(駐車場)や
現在の福知山線の橋梁上を走る電車(207系)が見えました。
武田尾駅からはすでに800mほど下流側に来ています。
(↑)ひたすら武庫川渓谷東岸の線路跡を歩きます。
30数年前まではここを福知山線の列車が駆け抜けていたのかと思うと
鉄ちゃんとしてはやっぱりワクワクしてきますね(笑)。
(↑)最初のトンネルに差し掛かりました。長尾山第3トンネル(91m)です。
野石乱積み側壁、レンガ長手積みアーチ構造が美しい
明治時代のトンネルですが、廃線となった今も
暗闇の向こうから列車が来るような錯覚を覚えます。
(↑)トンネル内は照明が無いので暗いです。
1899年(明治32年)の開業から1986年(昭和61年)の廃線までの87年間
毎日列車が行き来したトンネルの壁面や天井は
蒸気機関車やディーゼル車の煤煙で黒く煤けていました。
(↑)懐中電灯は必須なんですが、うっかり持参し忘れた私は
スマホのライトで足元を照らしながらなんとか進みました。
真っ暗闇の中を歩き出口まで来ると、やっぱりホッとしますね。
(↑)この日は平日の月曜日ながら、
絶好のハイキング日和のためかハイカーもそこそこいました。
ここが鉄道の廃線跡であるということは
多くの人は特に関心無さそうでしたが(苦笑)。
(↑)2つ目のトンネル、長尾山第2トンネル(149m)です。
最初のトンネルより長いトンネルですが、
ほぼ直線トンネルなので入口から出口側の坑口の光が見えます。
(↑)長尾山第2トンネルと抜けると「親水広場」という広場に出ます。
川沿いにはベンチが並んでいて
大勢のハイカーたちがお弁当などを広げてくつろいでいました。
その山側には階段がありました。
ここを登った先には「桜の園 亦楽(えきらく)山荘」と呼ばれる
多くの桜の木が植樹されているエリアがあり、
さらにその先には標高552mの大峰山への登山道が続いているとのこと。
(↑)「亦楽山荘」は笹部新太郎氏なる人物が1912年(明治45年)に
桜の品種改良や接ぎ木などの研究のために拓いた演習林で
そこは全国から集められたヤマザクラやサトザクラが30種、
5,000本以上も植えられた場所だったんだとか。
1999年(平成11年)に宝塚市が
里山公園「桜の園 亦楽山荘」として再整備したそうで
今は福知山線の廃線跡ハイキングコースとセットで観光地化しているようです。
(↑)親水広場からさらに先に進みます。
しばらくすると視界の開けた場所に出ますが
このあたりは「展望広場」と呼ばれているようです。
(↑)「展望広場」と呼ばれるだけあってとてもいい景色です。
武庫川がカーブするこの辺りは急流地帯でもあり
「マキノ瀬」とも呼ばれているそうです。
(↑)緑なす山々とその狭間の渓谷を滔々と流れる川・・・
まさに深山幽谷の真っ只中という感じですが、
かつてはこれが鉄道の車窓風景だったんですね。
(↑)渓谷を跨ぐ神戸水道の送水橋が見えてきました。
武田尾駅付近にもありましたが、こちらもかなり歴史ある構造物のようです。
(↑)長尾山第1トンネル(306.8m)に差し掛かります。
これも野石乱積み側壁、レンガ長手積みアーチ構造のトンネルで
美しく保存されていますが、300mとなると結構長いですね(汗)。
(↑)トンネルの暗闇を抜けると・・・
(↑)武庫川に架かる鉄橋に出ました。旧・第二武庫川橋梁です。
現存するこの橋梁は、1954年(昭和29年)に架け替えられた
トラス橋(単線下路曲弦分格ワーレントラス橋)で橋長は72mとのこと。
かつて列車が往来していた渓谷の鉄橋は長年の風雪に耐えながら
今なお無骨にも美しい、均整のとれたその姿を保っていました。
(↑)ハイキングコースとなった今は鉄橋上に
木製の人道橋が設けられていますが・・・
(↑)まだここが立入禁止だった頃
(にもかかわらずハイカーが訪れていた頃)は
ハイカーはこの鉄橋の端のわずかな通路を渡っていたんだとか。
景色はいいんですけど、みなさんおっかないことしてたんですね(汗)。
(↑)鉄橋を渡ると、すぐにまたトンネルに差し掛かります。
溝滝尾トンネル(151m)です。
(↑)溝滝尾トンネルを抜けた先もまだまだ線路跡の遊歩道が続きますが
この先は武庫川の西岸になりますので、進行方向左側が川となります。
(↑)撤去された枕木が集積されていました。
この先何らかの用途で再利用されることはあるんでしょうか?
(↑)旧線時代のキロポスト
(「24」は福知山線の起点である尼崎駅から24q地点を示す表示)や
列車の速度制限標識も残っていました。
朽ち果てつつも今も列車が来るのを待ち続けているかのように見えます。
(↑)この辺りは渓谷がさらに狭まります。
流紋岩と思われる岩がゴツゴツしている武庫川のこの一帯は
溝滝(雄滝・雌滝)と呼ばれているそうですが、
ここに鉄道の線路を通すに当たって
崖と渓谷に挟まれた狭い空間に軌道敷を確保するのは
かなりの難工事だったんじゃないかとも思えますね。
(↑)次のトンネルが見えてきました。
北山第2トンネルです。長さ412.7mと
この廃線跡ハイキングコースでは最も長いトンネルです。
(↑)もちろんここも「トンネル内は照明無し」です。
しばらく進むとカーブに差し掛かり真っ暗闇に突入します。
ここもスマホのライトを照らしつつなんとか突破しました(苦笑)。
(↑)トンネルを抜けると再び美しい渓谷が姿を現します。
この辺りの山河は鉄道時代とほとんど変わっていないと思いますが
鉄ちゃんとしてはつい「列車でここを通ってみたかったな」と思ってしまいますね。
(↑)所々に錆び付いたかつての速度制限標識が残っています。
これらは鉄道時代の面影を残すべく
あえて撤去せずに残してあるのかもしれませんが、
残された標識をいくつか見た感じでは
この付近は55q〜60q/h程度が制限速度だったようですね。
かつて大阪と丹波地方、山陰地方を結んだ
特急「まつかぜ」、急行「丹波」、急行「だいせん」などの優等列車も
この標識を横目にここでは速度を落としつつ走っていたんでしょうか。
(↑)鉄道時代の待避所と思われる遺構は
今は見晴らしの良い展望台になっていました。
「鉄路錆びて 山河あり」
往時の鉄道に想いを馳せつつ渓谷の景色を眺めていると
なにかと郷愁に浸ってしまいます。
(↑)廃線跡はまだまだ続きます。
ハイキングコース入口の僧川橋梁からはすでに4q程度歩いたでしょうか。
あと一息です。
(↑)武田尾側からの廃線跡ハイキングでは最後のトンネルとなる
北山第1トンネル(318.4m)まで来ました。
長さ的には北山第2トンネルに次ぐ長さですが
ここまで来るとトンネルの暗闇にもいよいよ慣れてきたという感じです(笑)。
(↑)北山第1トンネルを抜け、トンネルを振り返って見ると・・・
生瀬側の坑口の右側、武庫川との間に不思議な空間があることに気付きます。
これは・・・いわば「旧線の旧線(旧旧線)跡」。
福知山線のこの区間の開業が1899年(明治32年)であるのに対し
このトンネルの竣工が1923年(大正12年)という事実に気が付くとわかるんですが、
開業からこのトンネル完成までの24年間は
実はこのトンネルの外側の川沿いに線路があったんですね。
鉄道路線の歴史は細かく紐解くと結構複雑な成り立ちなのがわかります。
(↑)さらに線路跡を進み、名塩川の橋梁を渡ると・・・
(↑)急に視界が開け、住宅群とともに中国自動車道の高架が見えてきました。
いよいよ廃線跡ハイキングコースの終点です。
(↑)こちら側の入口にもハイキングコースの注意書きが・・・。
ここ生瀬側から武田尾側へと歩くハイカーも多いようですが、
こちらにはツキノワグマに出くわした時の注意事項までありました(汗)。
(↑)武庫川渓谷の名所案内まであります。
福知山線旧線跡(廃線敷)の説明もコンパクトにされてますね。
(↑)かつては生瀬駅まで線路が繋がっていたわけですが
この先の廃線跡はこの一帯の再開発工事で既に分断されてしまったようで
その痕跡は明確には残っていません。
(↑)ハイカー向けの仮設トイレが設置されています。
武田尾側も入口の僧川橋梁の手前に公衆トイレがありましたが
ハイキングコース内はトイレがありませんので注意が必要です。
(↑)ここからは一般道へ出て生瀬駅へと向かいます。
この一帯は今も再開発の途上なのか、
道路が付け替えられたり拡張されたりしているようで
あちこちに工事フェンスが立っていました。
生瀬駅までの道は途中歩道が非常に狭くなるので
正直かなり歩きにくいです。
その隣駅の西宮名塩駅へ向かう道の方が
距離は少し長くなるものの歩きやすいようですね。
(↑)生瀬駅近くまでやってきました。
再び現在の福知山線の線路が目の前に現れます。
(↑)ここがかつての旧線と現路線との分かれ目のようですね。
旧線はここから何か所かのトンネルを経て
今歩いてきたハイキングコースである
武庫川渓谷沿いへと延びていたようです。
(↑)やっとのことで生瀬駅に到着です。
武田尾駅からは延べ7q程度は歩いたでしょうか。
結構心地よい疲れを感じました。
(↑)生瀬駅は旧線時代から場所は変わっていませんが
福知山線が複線電化されて久しい今は駅周辺の住宅地化が進んだようで
すっかり都市部郊外の駅という感じになっていました。
かつての旧線時代の面影はここにはもうほとんど残っていないようです。
1980年代の関西都市圏の都市化の波と人口急増の流れの中で、
大量輸送とスピードアップの需要に応えるべく
急速な進化を遂げた福知山線。
しかしその発展の陰で切り捨てられてしまった
こんな美しい渓谷沿いの区間があったんですね。
本来なら時の流れとともに、そこに鉄道が走っていたことすら
忘れ去られていくところだったその線路跡は
幸いにもその風光明媚さから
ハイキングコースとしての第2の人生を歩み始めていました。
鉄ちゃんとしては
かつてそこを走り抜けていた列車に想いを馳せ・・・
ハイカーとしては
かつては車窓の風景だった武庫川渓谷の景色を
川風を肌に感じつつ歩きながら楽しみ・・・
そんな感じで
私としてもいろいろな視点から楽しめるスポットでしたね。
今はコロナのせいで
地方イベントへの遠征すらなかなか出来ないのが悲しいところですが、
また関西での同人イベント参加とセットに
(できれば今度は季節を変えて)再び武田尾を訪れてみたいところです。
posted by 松風あおば at 23:52
| 日記