今回は個人的な話で大変恐縮なんですが・・・
先月末、私の大学時代のサークルの友人の一人がこの世を去りました。
とても活発で明るく、人からも慕われ
在学中は私を含めたサークルの頼りない男連中をもハッパかけて
まとめ上げるくらい(?)いつも仲間内では中心的存在だった彼女は
卒業してからも一緒にプロ野球の試合を観に行ったり、
イベントや小旅行に出かけたり、飲み語らったりと
私個人としてもたくさんの楽しい思い出を共有してきた
まさに親友と呼べる一人だったのですが
がんを患い、この1年半ほどは闘病生活にあったんですね。
末期がんであったにもかかわらず、
闘病中もこちらにくれるメールの文面などは至って明るく
実はがんなんていうのは嘘なんじゃないかとも思わせるほど
死のイメージからは遠かった彼女だったんですが・・・
先月末に彼女の夫(彼も同サークル時代の親友なんですが)から
彼女の危篤の知らせを受け、
こちらも駆け付けようと準備をしていた矢先のことでした。
スマホの画面に浮かぶ訃報を目にしながら
しばらくは悲しいというより「呆然自失」という感じだったでしょうか。
彼女がこの世から旅立ったということが信じられないというか
受け入れられないというか、そんな感じだったように思います。
久々に会ったサークル時代の友人たちとともに葬儀に参列し
最後の別れを済ませたところなんですが、
葬儀の席で彼女の夫から
彼女にとって非常につらく苦しい闘病生活だったことを知らされて
今さらながらに驚いているところだったりします。
闘病の苦しみを決してこちらに見せなかった友・・・
そこに彼女らしい強さと優しさを感じざるを得ないところですが、
彼女がいなくなったことの本当の悲しみが
じわりじわりと込み上げてくるのはこれからなのかもしれません。
愛する家族や親しい友の死に直面して
人生観や物の見方が変わったといった話はよく聞く話ではありますが、
今の私もまさにそんな局面にあるように思います。
亡き友との思い出を思い浮かべる中では
どうしてもその時々の彼女の姿とともに
過去の自分の言動の節々も思い出されてくるのですが、
その中には些細なことに意地を張ったり、
つまらないことに執着したりしていた自分の姿もあったりして、
そんな自分のちっぽけさに
今さらながら恥ずかしくなったりもしています。
寿命は天が決めるものであって、人が決めるものではない・・・と
宗教や哲学を語るわけでもないんですが、
死は誰もが免れず、いつかは自分にも訪れるものながら
生きている間は周囲の人の死に直面することも免れないもので、
人はその都度、人が生きることの意味を考えさせられます。
明るく前向きでいつも人への配慮を忘れず
そして自らの死に臨んでもその姿勢を崩さなかった
彼女の生きざまに敬意を払うとともに
そんな彼女と学生時代から長きにわたり親しい友人でいられたことに
今は感謝の想いしかありません。
「友よ、ありがとう、安らかに眠れ。」
故人のご冥福をお祈りします。