前回の日記をアップした頃は
梅の花が二分咲きとか言っていましたが、
いつしか桜が満開になって、そして散り始めていましたね(汗)。
私の方はここ一か月ほどは仕事の多忙期でもあったんですが
今年は例年以上にバタバタしてしまってて
なかなか花を愛でるゆとりもありませんでした。
年度が明けてやっと落ち着いてきたので
放置していたこの日記もいよいよ再開しようかという
ところだったんですが・・・そんな矢先
ショッキングな訃報が入ってきてしましたね。
日本人ならおそらく誰もがその名を知っているであろう
漫画家の藤子不二雄A(安孫子素雄)先生が
7日、川崎市内の自宅で死去したことが報じられました。
享年88歳。
藤子不二雄A先生は、1934年(昭和9年)富山県生まれ。
手塚治虫に憧れ、幼少期から漫画家を目指し
小学校の同級生だった藤本弘(藤子・F・不二雄)先生と
コンビを組み、「藤子不二雄」の合同ペンネームで
1951年(昭和26年)に新聞4コマ漫画の
『天使の玉ちゃん』でデビュー。
富山新聞社勤務を経て上京後、
石ノ森章太郎、赤塚不二雄などの若手漫画家たちも
集うことになる東京豊島区のアパート・トキワ荘に入居し、
その後『オバケのQ太郎』などの大ヒットにより
一躍人気漫画家になりました。
1987年(昭和62年)に藤本弘(藤子・F・不二雄)先生との
コンビを解消(藤子・F・不二雄先生は1996年に死去)
した後も幅広いジャンルの作品を手掛けますが
後年は特にブラックユーモアやシュールリアリズムを
追求した作品で知られるようになります。
私・松風の世代は、
まさに藤子漫画で育った世代でして
幼少期に触れた漫画・アニメといえば
まず藤子不二雄(コンビ時代)作品をはじめ
藤子両先生の数々の作品が真っ先に思い浮かびます。
私自身を漫画・アニメの世界に最初に
誘ってくれたのはまさに藤子作品だったんですよね。
大人になってからも時折何かを思い出すたびに
藤子作品を読みあさることもありましたが
過去に読んでいたものでも読み返すたびに
不思議とそれまでとは読後感が違ってくる作品も多く、
そこに新たな発見があったりと、近年に至るまで
私にとってその影響力は本当に大きかったと
言わざるを得ません。
藤子不二雄A先生の代表作としては
『忍者ハットリくん』『怪物くん』
『プロゴルファー猿』『笑ゥせぇるすまん』などが
まず挙げられるようですが、
趣味ながら自分でも漫画を描いている身としては
やはり『まんが道』が真っ先に思い出されます。
漫画家という職業が今よりもずっとマイナーだった時代、
漫画家を目指し、そして漫画家として
漫画を描き続ける楽しさと苦労、
漫画を描くことを通じて展開する人間関係、友情・・・
漫画界の黎明期を支えた巨匠の自叙伝的作品は
同人活動で下手くそな漫画を描いている私などにとっても
感動と大きな励みを与えてくれる作品でした。
(↑)漫画家の江口寿史先生が
「『まんが道』の本はずっと、ぼくの仕事場の
本棚の一番取りやすい位置に置かれている」
と言っていましたが、私の本棚にも
『まんが道』はあります。
漫画描きに行き詰まったときとかには
今でもなにげに開いちゃう本なんですよね。
日本の漫画黎明期を支えたトキワ荘世代の漫画家の
最後の生き証人的な存在でもあった藤子不二雄A先生。
今回の訃報は一つの時代の終わりを告げる
ニュースといっても過言ではないかもしれません。
謹んで故人のご冥福をお祈り申し上げます。