駅前道路の横断歩道を渡ると、目の前にこんなものが現れます(↓)。
台地の崖下にぽっかりと開く穴・・・?
戦時中の防空壕の跡です。
みなさんのお住まいの地域にもおそらくこういった戦時中の遺構の一つや二つはあるかと思いますが、
宅地開発が進んだ都市部近郊でも、防空壕の跡って今も結構あちこちに残ってるんですよね。
川崎市中部の中核駅・溝の口駅の真ん前に今なお残るこの防空壕は
この地域ではとりわけ目立つ存在で
仕事でよくこの辺りに来る私・松風にとっても既に馴染み深い存在なんですが、
特に遺構として保存されているというわけでもなさそうです。
簡易な柵で塞がれていた時期もあったんですが、今はまたむき出しになっており、
もしかすると今後再開発などで破壊されてしまう可能性もあるかも・・・と思い、
先日通りかかった際に写真に収めておきました。
(↑)開口部の幅は1.5m程度、高さは1m程度でしょうか?
中をのぞくと、いかにも人力で掘られた素掘りの穴という感じなんですが、
入り口から2mほどのところで左に曲がっており、奥行きや内部構造を窺うことはできません。
どこか異世界にでも繋がっているようなミステリアスな雰囲気も感じます。
戦時中、多摩川西岸の川崎市域(南武線沿線)には多くの軍需工場があり、
1945年(昭和20年)4月15日の川崎大空襲ではそれらが主な標的となったほか、
その周辺市街地含む一帯が焼け野原となり、多くの犠牲者が出ました。
ここ溝の口一帯も、戦時中は今の洗足学園から川崎北税務署あたりにかけて
日本軍の光学兵器を開発・製造する日本光学梶i現・ニコン梶jの工場があったためか、
同年4月22日に大規模な空爆を受けたそうです(久本空襲)。
その際はきっと多くの人々が避難したであろうこの防空壕・・・。
実際にどれくらいの命を救ったのか?具体的な数字こそわかりませんが、
今なお堂々たる雰囲気を残すその姿にはどこか頼もしいものも感じます。
じっと眺めていると、
この内部がどうなっているのか?どうしても気になってきてしまいますが、
さすがに中に入るのはマズいですので、ウズウズする気持ちを抑えつつ(?)
ここは写真だけ撮って立ち去りました。
奇しくも、東京大空襲から78年目の日を迎えた今日(3月10日)ですが、
今なお世界のどこかで戦争の惨禍が繰り返されていることを思うと、
生まれてから今日まで平和な世の中でとっぷり暮らせていることが
むしろ奇跡的なことなのではないかとも思えてきます。
過去の悲惨な戦争の記憶を今に伝えるかつての防空壕の跡・・・
今の私たちが日頃忘れがちな平和の尊さを感じさせてくれる遺構として
出来れば今後も何らかの形で残していってほしいものです。